六時の鐘
表面に「高野山六時鐘 元和元年福島正則父慈愛之母ノ追善ノタメニ建立ス」とある。スタンプは「高野登山 名勝探勝記念/高野山/海抜?000?」とある。裏面に「郵便はがき Post Card」とある。
デジタルデータ「絵葉書」です。
表面に「高野山六時鐘 元和元年福島正則父慈愛之母ノ追善ノタメニ建立ス」とある。スタンプは「高野登山 名勝探勝記念/高野山/海抜?000?」とある。裏面に「郵便はがき Post Card」とある。
左下に「画工 探舟㊞」「明治三十三年二月廿八日届/同年二月十八日発行/紀伊国伊都郡高野村/大字高野山七百廿四番地/版権/所有/阪上民之助/大阪市東区備后丁二丁目一番地/印刷者 大坂石版合資会社」とある。奥之院の一の橋から御廟までの石塔群が描かれており、中央に金剛峯寺、左上に伽藍、さらに大門が描かれており、実際の地形とは異なっている。
絵葉書 仮分類type3 302
「石塔案内高野山奥之院図」の袋である。裏面には「著作兼発行者/紀伊国伊都郡高野村大字高野山/七百二十四番地/阪上民之助/売捌処/同/山城屋茂八」とある。
表面に「高野山名勝 金堂 一山総本堂善美ヲ画すコト天下無双(本尊)/大師御自作薬師如来御丈一丈六尺其他国宝数多シ (三島発行)」とある。
壇上伽藍の金堂は、昭和元年12月26日未明に焼失した。現在の金堂の屋根は1層であるが、本絵葉書では2層であることから、金堂が消失した昭和元(1926)年12月26日以前のものであることが分かる。大正天皇は大正15(1926)年12月25日に崩御されており、金堂消失と大正天皇崩御が、同じ紙面に報道された。
屋根の上に、避雷針が3本設置されている。右奥は高野四郎(釣鐘)と考えられるが、現在のものとは異なっている。その隣にも建物が見える。
表面には「高野山 両大明神/(第一社丹生都比売明神第二社高野御子明神大師明神と並称し人の信仰最も深し」とある。
鳥居や柵、燈籠は現在のものとは異なる。
表面には「高野山 極楽橋/(不動谷架すこの渓の一流自ら塵梵を劃しこれより浄域に入るを以て此の名を得たるか)」とある。
現在、南海電車高野線の終着駅であり、高野山駅にはケーブルカーが運行している。極楽橋駅は、1929(昭和4)年に高野山電気鉄道によって神谷駅(現紀伊神谷駅)が延伸されたことによって出来た。
表面に「高野山 全景/(海抜三千尺面積百三十三余坪の高原に厳然たる堂塔を一眸の中に集む真に一大偉観なり)」とある。
表面の左上に「山彦に足音のみ/響き 浄域十八町も/一つ橋を渡りてより」、右上に「熊谷直実の古?にのこる/高野熊谷持に手向けん」、左下に「偉聖芭蕉を偲ぶその句碑に/【父母のしきりに/恋し 雉?子の子】」、右下に「燈籠の宜璧を/みん 万燈籠堂の/?閣にみる釣燈籠」とある。
表面の左上に「女人禁制の高札を/かかげし女人堂にて/土産物などあがないひて」、中央に「石童丸と??なし/苅萱にて有名な苅萱堂」、右上に「三鈷の松も栄へ 大仏/開眼の尊像安置の御影堂」、左下に「大師刻みし国宝の九体の/仏像も安置の不動堂」、右下に「高野一山の霊宝/五千余点を納む霊宝館」とある。